叔父の苦悩

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叔父の苦悩

父の弟である左利きの叔父は、私と仲良しです。

特に最近は、私が78歳の叔父に定期的にパソコンを教えているので、しょっちゅう会いに行きます。

叔父は私の故郷に今でも住んでいて、私の家族は叔父と一緒に私が8歳になるまで暮らしていました。

ですから、第二の父親、とも呼べる人です。

さて、その叔父ですが、私とは左利きという共通点があることからか、相当気を許しているようです。

その証拠に、叔父は必ず「左利き」ということについて、話題にします。

姉や妹とは決して語り合わないことです。

年が年なので、同じことを繰り返して言う傾向にあるのですが、決まって言うのは、「ワシは左利きだったから相当苦労した」という愚痴です。

左手で何かをしてはいけないということで、相当ストレスを抱えていたし、左利きというだけで、相当辛い思いをしたといいます。

それは、現代人の私が決して味わうことのなかった類の差別です。

昔は左利きの人は知的障害者と呼ばれていたそうですし、今でも左は不浄の手としている国もあるし、挙げればきりがないほど、左利きに対して、幾つもの偏見があるみたいです。

私は正直、それらを知るのは怖いです。

しかし、叔父が苦労してきた一部始終を理解できるのは、やっぱり左利きの私。

左利き特有の苦労は共感・共有しあえるので、二人揃って左利きの愚痴話をすることで、少しでもストレス発散ができたらいいのだろうと思います。

叔父の苦悩 その2

叔父が若かりし頃にどれだけ苦しんだかを、少し掘り下げてみます。

叔父は、両親には利き手に関するある程度の理解は得られていたものの、前述通り、学校では、字がうまく書けないことを理由に、いつまでの居残りをさせられたといいます。

1枚の紙を仕上げるのに、人の5倍は時間がかかったそうで、叔父は半紙をとりとめもなく消耗していました。

利き手矯正を難なくクリアできる人もいて、私の母は、わりと右手で字を書くことにはすんなり順応したようですが、叔父の場合は、左利きのせいで、相当身を削る思いをしたタイプのようです。

黒板の文字をノートに書き写すのが遅かったせいで、テストでもいい点数は取れず、「左手で書くことが許されていたら、もっといい成績を取れたのに」とまで言っています。

叔父によると、左利きのせいで、学校の成績は格段に悪かったと言います。

そのような苦労があったので、左利きが許される時代になってからは、右手に対する嫌悪感がひどくなり、字も敢えて左手に直したのです。

叔父を見ていると、左利きに対して、相当コンプレックスを持っていたようだし、トラウマになる辛い経験も沢山あったのだな、と思います。

周りがそこまでして無理を強制することに、憤りも感じました。

そして、左利きが容認される時代になり、私は叔父が心からホっとできる時代が来たのだな、とつくづく思いました。

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